スリランカ合宿 その2

第五日目 Kandy→Nuwara Eliya
 チェコ人の御一行がオーナーと激しく値段交渉どしている中で朝食を済ませ、出発した。
相変わらず暑く、またしても通勤通学ラッシュと重なってしまい、大混雑の道路を掻き分けながら進んだ。本日目指す場所は高地のNuwara Eliya.標高1889メートルに位置する町である。車なら何ともないが、自転車で行くとなると試練である。
 出発は快調。A5を10km進みGampolaで小休止。幹線道路とは思えないのどかさである。車もあまり走っておらず、井戸端会議をしている現地の人の声がよく聞こえる。しかしここからがきつかった。徐々に勾配がきつくなり、ペースも当然落ちた。休憩から一時間も走らないうちに暑さと湿気で朦朧としてきた。「ザー」と近くで川の流れる音が聞こえてきたので、自転車を止め水浴びすることにした。既に現地の方々が水浴びをしており、洗濯もしていた。岩場を流れる川で天然のプールができていたので、イトー氏はパンツ一枚で飛び込む。ナガシマは着替えるのが面倒くさいので足までにしておいた(地元の少年からは再三「You Swim!」と言われたが)。
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しかしこの暑さだと足が水につかっているだけで相当気持ちいい。ただ岩場に手をついた途端その気持は霧散した。無数の黒いものが手から腕にかけて付いている。しかもウネウネ動いている。ヒルである。余りの気持ち悪さに、すぐにこすって落とした(潰したらたくさん汁が出てきた)。なんだかんだ一時間近くここで時間をつぶしたのであった。
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                             子達が追いかけてきた
 この先Ramboda峠(1884m)を過ぎ(どこが峠だか分らなかった)、Ramboda Fallsという滝を見た。昼食は滝の目の前のレストランで取ったが、外国人ツアー客用のしっかりしたものだったので、汗とほこりまみれで小汚いの僕たちには入るのに躊躇した。当然値段も高めで、おまけにスタッフからも雑に扱われ、いいことがなかった。滝を眺めて足早に出発した。
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 日本の援助で造られたトンネル              Ramboda Falls
しかしここからがさらにつらかった。キツイ勾配が延々と続き、さらに日が沈み始めてくじけそうになった。イトー氏はピンピンしていたので先へ行ってしまった。ナガシマはハンガーノック現象が出てきて、途中の小さな茶屋でダウン。ココナッツジュースを震える声で注文。見かねた店主はちょっとおまけをしてくれた。ビスケットとココナッツで数十分後には回復した。しかしまだ登りは続く。毎回カーブが見えてくると、登りがそこで終わるのではないかと期待してしまうのが、何度となくその期待は裏切られた。つらかったが現地の人の熱いエールのおかげでなんとか日没前に峠に到着し、イトー氏と合流した。
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 Nuwara Eliya市内は結構人が多く、観光地であるために当然ながら物乞い、インチキガイドが集まってくる。
「Hi sir…I know a good guest house. ○○guest house,○○Inn,○○Hotel……I can make them very cheep……this guest house normally costs Rs.1500 but if you ask me , it will be………」
 わかったからあっち行っててくれ。こっちは疲れているんだ。しかし一方的に話しかけられ、ついにナガシマが絶叫。ガイドのオヤジがビビる。そのころイトー氏は数人の物乞いに取り囲まれており苦戦している模様。数十分後なんとか目的の宿に到着。だがトラブルが発生した。ホットシャワーを目当てにその宿を選んだのだが、ホットシャワーが壊れていることがチェックインしてから判明した。しかしこれから新しい宿を見つけに行くのも億劫だし、もはや抗議する気力さえ失われていた(どうせ何を言っても変わらないだろう)。しかしシャワーを浴びないわけにもいかず、震えながらシャワーを浴び、凍えそうになり、昼間の暑さが羨ましくなった。その後も夕飯のオーダーミスなど色々あったが、そんなことはもはや気にしないことにした。旅人にはおおらかさがある程度必要である。
第六日目 Nuwara Eliya→Ohiya
 気持のよい朝を迎えた。気持もリフレッシュされた。
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この先の道はまだ整備されておらず、穴だらけのガタガタの道が続くことになる。Horton Plains という景勝地を通過するべくRendapolaという分岐の町からA5を離れて南下する予定なのだが、いざ分岐に差し掛かると進むのが不安になるような細くて、中途半端に舗装された道が現れた。しかし地元の人に聞くと間違いないので、進むことにした。その道は茶畑の中を行く道で眺めが素晴らしかった。道に沿って集落が点在し観光客慣れしていないスリランカを見ることができる。基本的に登りだが、勾配が緩やかなので全然苦にならない。気持良く走れた。
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一時間くらい進むと突然鉄道の駅が現れた。一瞬廃線なのかと思ったが、現役である。駅の近くの倉庫で休憩をとることにした。高地なので日蔭は涼しくて気持いい。何台かのバスが通り過ぎたが、どれも車内では太鼓を敲き、歌を歌い、お祭り騒ぎである。風にあたって気持いいので少し長めに休憩をとって出発した。踏切を渡るとまた分岐が現れた。直進が正解らしいが細くてガタガタの道が続いている。また不安になったが進むことにした。少し進むと何やら白い建物が見え、人が群れている。それは牛乳工場だった。どこにも牧場らしい牧場は見当たらないが、途中林の中に乳牛らしい牛がいたことを思い出した。売店があり、新鮮な乳製品を売っていたので試しにアイスクリームを買ってみた。イトー氏はココア牛乳を買っていた。うん、うまい。濃厚なアイスクリームだった。
 昼を過ぎたのでPattipolaという町で昼飯を食うことにした。
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この街には商店が3件くらいであとは駅があるくらいだった。ちなみにこの駅はスリランカ鉄道最高地点らしい(1890m)。商店に入りカレー二人分を何気なく頼んだ。数分後大皿に山盛りのご飯とカレー数種類が運ばれてきた。明らかに食べきれる量ではない。本当に二人分なのだろうか。気合いを入れて掻きこんだがすぐに限界が訪れた。しかしちょうど昼時だったので現地の人が大勢集まってきて残こしてしまっては気まずい雰囲気になってしまった。ごはんを半分くらい食べたところでギブアップ。申し訳なさそうにお金を払い、走り出した。
 腹が張って走りづらい。しかしこれから地図上だと2000m近くまで登るらしい。道はジャングルの中を進みだんだんと勾配がきつくなっていく。すこし進むと前方にものすごい急勾配の坂が現れた。少し休息を取るべくカーブで小休止。回りの森は密林で木々が鬱蒼としている。
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何台かの車がエンジンを唸らせながら登っていく。三輪車も来たが登りの途中で止まってしまい、人を降ろして荷を軽くして、なんとか登って行った。僕らも気合いを入れて登り始めた。途中開けたところからの景色が素晴らしかった。手前は鬱蒼としたジャングルが広がり、遠くのほうには茶畑が見える。汽車の警笛が彼方から聞こえてくる。この景色を見た瞬間、よくここまで来たもんだと我ながらに思ってしまった。しかしゆっくりしてはいられない。もう2時を過ぎており、なんとかして日暮れまでに次の町にまで着かなくてはいけないからだ。
 だんだん空が近くなり、ようやく高地に上がったと思ったところで異様な人工物が目に飛び込んできた。ゲートだった。そこからは国立公園らしい。一瞬自転車が通行できるか不安になったが、その心配はなかった。しかし、地図上にある目的地Kalupahanaへ抜ける道は通行できないと係員から告げられた。しかし後戻りしても宿泊できそうな宿のあるまちは遠いし、結局国立公園の東端のOhiya GateからOhiya駅に降りるルートに変更した。入園料(Rs4500高い!)を払いさっそく入園。すぐに鹿らしきものと遭遇した。自然を感じる。その後は草原の中を15kmほど走った。途中World’s Endという断崖絶壁を見学したりしていたら夕暮れを迎えてしまい肌寒くなってきた。
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次の町Ohiyaの駅に着かなくてはいけないのでだんだん焦ってくる。国立公園内で夜になってしまっては大変だ。おそらく人家のない暗闇につつまれた道を走らなくてはならないことになるだろう。しかし下りばかりだったために何とかOhiya駅にたどり着いた。しかし駅前には商店が一件のみ。次に宿のありそうな町まではまた山の中を数十キロ行かなくてはならない。やばいと思いながら店の前を通り過ぎたとき、後ろから店の人が追いかけてきた。
「Stay here! Stay here!」
どうやら店の隣にゲストハウスがあるようだ。値段もそんなに悪くないため泊めさせてもらうことにした。ひとまず安心。
夕食はオーナー家族と一緒に食べた。かなり辛いカレーをいただいた。イトー氏はグリーンチリを誤って食べてしまったらしく、辛さのあまりしばらく硬直していた。キッチンを覗くとかまどで煮炊きしており店主がお茶を沸かしている。鍋も素焼きの土鍋である。戸口からは夜行列車が通り過ぎるのが見える。後ろではシンハラ語のニュースが流れている。現地に溶け込んだような気がした。食後は団欒の時間。しかし言葉があまり通じない。こういう事態を切り抜けるために便利なものは折り紙である。さっそくそこらへんの新聞紙で折り鶴を披露した。オーナー一家の目が釘付けになった。教えてくれとせがまれたので少し教えてあげた。すると今度は何やら店主の奥さんが写真をたくさん持ってきた。どうやら以前この宿に宿泊した旅人が本国から送ってきたものらしい。ということで僕らも写真を撮って日本から送ることにした。何だか心温まる一時を過ごした。
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第7日目 Ohiya→Pelmadulla
Ohiyaで宿の主人から温かく見送りをされ走り出した。高地を走るの今日が最後である。
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Haptaleという町までは細いデコボコ道が続き、その後はA4 という二車線の幹線道路に出た。Haptaleまでは茶畑を抜け、棚田のある村を通り抜け、下りに入ったり、また昇り返したり、なかなか変化に富んで面白い(キツイ)。昨日の夜この道を通らないでよかったと思った。Haptaleまでは意外と時間がかかった。しかしHaptaleからは良く舗装された道を一気に1500m位下るので一気に「下界」に降りてくる事ができた。昨日見に行ったWorld’s Endの崖の下を通り、ぐんぐん高度を下げて行く。それとともに再び暑さがやってきた。
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 Imbulpeという町で昼食をとろうとしたら、スリランカ人から日本語で話しかけられた。
話によれば日本の中京大学と名古屋大学に留学していたらしい。現在は近くのSabaragamuwa大学でスポーツ生理学を教えているらしい。しかも日本語学校を自宅の前に建設中で机なども日本から中古品を輸入したそうだ。日本人のボランティアを中心とした日本語学校の開校を目指している。なんと自宅にお呼ばれして昼食を頂いてしまった。
スリランカの話、日本での話で盛り上がり、一時間くらいお邪魔した。お礼と「日本語学校の建設、頑張ってください!」とエールを送り出発した。まさかこんな所で日本に縁のある人と会うとは。自転車旅行だからこそ出来たことで、車で通過していたらまず無理だったろう。
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標高はついに200m代にまでなった。猛烈な暑さが僕たちを襲ってくる。朦朧とする中宿を探した。この日はPelmadullaのゲストハウス兼結婚式場で泊まった。クーラー付きで快適な部屋だった。
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前篇 完

スリランカ合宿 その2」への3件のフィードバック

  1. taro

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    現地の人と一緒にご飯、最高だね
    続きを楽しみにしてるよ!
    GWはやっぱツーリングにしようかなー

    返信
  2. Yukari

    こんにちは、グーグルで、サイクリング、スリランカとサーチしていて、WFRさんのブログを拝見いたしました。私はもう社会人で、サイクリング、トライアスロンを趣味でやっております。特にサイクリングが大好きで、スリランカ旅行の際にもマウンテンバイクで島を回ろうと考えています。そこで見つけたのがWFRさんのブログ。大学生ならではの元気で楽しそうな日記を読ませていただいて、私も是非WFRさんが訪れた地域をみてみたいと思っております。どのようにしてサイクリングルートを見つけたのか、地図を頼って周遊できるものなのか、簡単な旅計画を教えていただけますか?私は特に二ページ目の日記、川、高地など自然にあふれたルートがとてもいいな、と思ってみておりました。大変恐縮ですが、アドバイスをいただけると幸いです!
    突然のコメントで申し訳ございませんが、

    返信
    1. Daiki Itoh

      コメントありがとうございます。当時、スリランカツーリングに行った者です。ルートはLonely Planetを参考にしました。参考ルートが載っておりますので心配はないと思います。しかしながら、山岳地帯など、駅があるにもかかわらず宿が極端に少ない地域(Ohiyaなど)がありますので、気を付けてください。
      私も自然にあふれたルートをおすすめします。熱帯気候のスリランカは、湿度気温の点から高度を上げたほうがツーリングしやすいと思います。また、ヌワラ・エリヤ周辺の茶畑は圧巻です。
      スリランカは内戦終了数年後だとは思えない治安のよさと人々の親切さでした。是非とも良い旅となるよう祈っています。

      返信

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