アフリカツーリング17

8月27日
 とうとうダルエスラームに到着です。が、市内を自転車でウロウロするのは危険(治安的に)であると判断し、タクシーでホテルまで直行することになりました。ホテルのフロントでタクシーを頼んでもらいましたが、現れたタクシーはいわゆる
「白タク」
というものでした。つまり正規の登録をしていないもの。ガイドブックによれば白いナンバープレートは政府に届け出をしている正規のタクシーで、黄色いナンバープレートは一般車。大都市部では正規のタクシーがたくさん走っているようですが、田舎のほうではこうした「白タク」に頼るしかないそうです。法外な料金を請求したり、強盗団とつるんで悪事を働く者もいるらしい。
 
 まあ、ホテルが呼んだタクシーだし、大丈夫だろう、と自分らに言い聞かせて自転車をトランクに無理やり詰め込み、タクシーに乗り込みました。乗車すると運転手は
「カローラ」は「グッド」だの、「ランドクルーザー」は最高だの、いろいろ話しかけてきました。が、時折携帯電話で何か連絡を取るような仕草をしている。
「怪しいな…まさか仲間を呼んで、どこか人里離れたところへ連れていって強盗でもするんではないか」
そう思ってしまい。内心かなり不安になりました。
 運転手は相変わらず、電話をしています。でもスワヒリ語なのでわかりません。ふと外を見るとバイクに乗った男が妙にまとわりついてきました。こちらも片手運転で携帯電話で通話している。バイクが我々のタクシーの前に出ると、なんと、我々のドライバーと何か身振り手振りで合図をおくっているではありませんか!!そしてタクシの運ちゃんも携帯電話でそいつと話しているみたい。
 「ヤバい」
そう思い、すぐに手渡すための200ドルをポケットに移しました。脅されたときにすぐに出せるように。僕は運転席の真後ろに座っているため、ドライバーからは見えません。ついでに笛もポケットに忍ばせました。そうこうしているうちに、車は路肩に停車しました。
「なんのために止まったんだ!」
と言っても運転手は無言でドアを開け、後ろのほうへ行ってしましました。緊張感はMAXに達し、僕は臨戦態勢で運転手に対して睨みを利かせました。「最後の最後でやられてしまった。ほかの手段を考えるべきだった」そう思ったとき、
「トランクの荷物を見に行ってただけさ!」
といって、運転手はまた走りだしました。
 どうやら僕の考えすぎだったらしい。でも気は抜けません。
結局神経を尖らせたまま、ようやくホテルにたどり着きました。
「ふー」
全身の緊張がほぐれました。とりあえず何事もなくてよかった。
 
 実はこの時点でイトウ氏は風邪の症状を示しており、熱もあるらしい。ナガシマもマラリア予防薬の影響で朦朧としていました。かなり疲れているため、とりあえずホテルのベッドに倒れこみます。しばらく沈黙、今まで溜まっていた疲れが、ダルエスサラームに到着したという安心感を得たことでドッと流れ出してきたような気がしました。
 イトウ氏は一応マラリアの初期症状の疑いもあったため、市内で一番大きな病院で血液検査をすることにしました。
 病院は海に面した大きなものでしたが、建物はイギリス領時代のものと思われるものをそのまま利用しており、血液検査室も何やら医療器具が無造作に置かれた、頼りない感じのものでした。しかしここがタンザニアでは一番まともな病院らしい。発展途上国の医療の現場はまだ未発達であることを痛感しました。
で、検査室の壁には、ここで行われる血液検査の種類が書いてありました。マラリア、エイズなどなど。残念ながら、タンザニアではエイズがかなり広まっているとのこと。
無造作に置かれた器具。ほかの伝染病も同じ部屋で検査されている。……。
いろいろ考えた結果、ここでは検査はせず、もうひとつの病院をあたってみることにしました。
 今度は小さな診療所。しかしこちらは欧米の医師が常駐しているらしく、機材、設備もしっかりしています。どうやらインターナショナルスクール付属の診療施設らしく、やたらと子供や若者が多い。
ここなら安心だと思い。検査してみる。結果は
「陰性」
でした。よかった、これでマラリアの心配も消えました。で、請求額は
$73也!!!!!!
 たった数分の検査と問診でこの値段とは。日本の医療保険制度のありがたみがやっとわかった気がしました。現金では出せなかったので、クレジットで払いました。
 でもよく考えると、旅の途中で通り過ぎた村の人たちにとっては、なかなか払えるような金額ではありません。ちなみにタンザニアの平均寿命は55歳だそうです。医者にかかりたくても経済的な面で断念してしまうという現状があるのではないかと感じました。
われらがWFR ★ 早稲田大学山岳サイクリング部動画日記 われらがWFR ★ 早稲田大学山岳サイクリング部動画日記
薬とおやつ
この日は近くのバーで飯を食い,泥のように眠りました。
続く

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